2016年11月03日

【実現すべき自己などない!!】という悟りをくれた本について。

一億総ガキ社会.JPG
先日、ブックオフに立ち寄った際に
ふと目についた本があったので購入しました。

『一億総ガキ社会~「成熟拒否」という病~』著者:片田珠美

と言う本です。なぜこの本を手に取ったかと言うと、
自分を含め、最近の日本人は男女問わず、なんだかすごく幼稚な人間が増えたなぁ…
と常々感じていたからです。子供のまま大人になってしまった人が多いですよね。
少子化の原因も、突き詰めて考えると根源はそこにあるような気がします。
皆が皆、自分の面倒を見るので精いっぱい…自分中心の物語を崩したくない…
世の中がそんな人で溢れかえっているように感じます。もちろん私もその中の一人です…。

…で、この本はですね、感想を言うと…まあまあ良い本だと思います。
著者は精神科医ということもあって、患者として来院した人たちの
具体的なエピソードも挟まれているので説得力のある内容だと思います。
幼児期の万能感を捨てられずに等身大の自分が受け入れられない人たち、
モンスターペアレントやモンスターペイシェント、クレーマーなどの問題や、
ひきこもり、エディプスコンプレックス、子離れできない母親、
ちょっとしたことですぐ精神薬に頼る現代人の問題、
高度医療が進んだ結果「死」を受け入れずに遠ざけ続ける現代人…などなど、
興味深いことが色々と書かれています。

「自己愛」「対象喪失」といった心理学用語?みたいなものが出てくるので、
その辺のことを事前に少し知っておく必要がありますけれども、
全体的にわかりやすく、読みやすい内容になっていると思います。

…それでですね、この本の中でとにかく感動?した箇所があるんです。
この著者の言葉ではなく、他の本から引用されている部分なのですが…

自分が「空っぽ」であることを受け入れられない

そもそも、大多数の「普通の人々」に、実現すべき自己などあるのだろうか?
小谷野敦氏は、なぜ『赤毛のアン』が日本で人気があるのか?について分析した評論
「実現すべき自己などない時」(『聖母のいない国ーThe North American Novel』河出文庫所収)
の中で、次のように述べている。

「多くの人々には、確固たる自己などないのだし、実現すべき自己などないのである」
筆者も全く同感である。精神科医として、あるいは大学の教師として、
今どきの若者に接する機会の多い筆者は、「将来どんなことをしたいと思っているの?」
と尋ねても、しばしば「別に何もない」という答えが返ってくることに驚くのであるが、
実はそれが現実なのである。
第一、小谷野氏も指摘しているように、
「人の願望などどいうものは、周囲の環境が作り上げるものだ」。
(p113)


実現すべき自己なんて存在しない.jpg
……この「実現すべき自己などないのである」と言うセリフに
脳天を殴られたような衝撃を味わいました。
…いや、とても滑らかに胸に浸透してきたセリフでもあります。
なんだか肩の荷が下りたような、すがすがしい気持ちになりました。
思わずイラストにしてしまったくらい気に入ってしまいました。

私は…いや、私に限らず多くの人たちが、
小学生のころに「夢を持て」「将来の夢について作文を書け」と言われ、
中学生の頃には「自分の将来を具体的に見据えた“自分史”を作りなさい」と言われ、
高校や大学になると「自己実現」というよくわからない文言に惑わされるようになります。

もちろん、夢だとかそういった目標を持つのは良いことですが、
いずれ折り合いをつけなければならないわけです。

そこで私もいろいろ考えてきましたが、
たしかに、そもそも、実現すべき自己なんてものは存在しないんですよね。

もっと突き詰めて考えると「自分は存在しないのかもしれない」という結論に達します。
我々の存在なんて粒子の集合体であり、その「粒子の存在」というもの自体が実にあいまいです。

この「自己など存在しない」もしくは「自分と言う存在は実は曖昧なものだ」と言う感覚を
獲得できたならば、些細な事に腹を立てることもなくなり、
やがて死を恐れることもなくなると思います。
この「自分は存在しない」と言う感覚は、一見ネガティブなように感じますが、
そうではなく、実に自然な…なんというか…自然の摂理であり、真理であると思います。

よく「自分探しの旅に出る」とか言いますけども、
どんなに探したって自分なんてものは見つからないわけです。
まぁ、「自分探しの旅」の目的はそこに気づくことだと思いますけどね。
例えば、「自分探しの旅に出る!とりあえずマチュピチュ遺跡に行く!」
とか言う人が居るとします。マチュピチュに行っても自分なんて見つかりません。
そこで見つかるのは、マチュピチュの持つ歴史の深さと
異国の広大な自然と神秘の中に佇むちっぽけで曖昧な自分の存在です。
そこで「自分ってのは流れゆく自然と歴史の中に漂ってるだけなんだ」と悟る…
これが「自分探しの旅」の持つ意味だと思いますよ。私はそう思いますけどね。

そんなこんなで、この本にはなかなか感銘を受けました。
そしてこの本の最後に書かれている部分もですね…
あらゆる問題の根底にあるのは何か?ってのを割と的確に言い当てているように感じました。

もっとも、一度でもつまずくと二度とはい上がれない、言いかえれば、
一度「負け組」に落ちたら最後、二度と浮かび上がれないように見える社会では、
転ぶことへの不安や恐怖が募るのは当然である。その結果、
わが子を「勝ち組」にしようと躍起になる親―――極端な場合はモンスターペアレント―――
が増えている。また、「勝ち組教育」からドロップアウトした子どもや若者は、
不登校・引きこもりという形で「おうち」という安全地帯に退却してしまう。
さらに、「負け組」に落ちたことによって味合う敗北感や抑うつ感から逃れるために
酒や薬物に溺れる依存症は、深刻な社会問題になっている。
それゆえ、「勝ち組路線」から一度でもはずれてしまうと、
そこにもどるのが極めて困難に見えるような現在のシステムを根本的に見直し、
敗者復活の容易な社会を築いていく努力が必要なことは言うまでもない。
(p248)


ただ、この見解には大きな間違いが一つあります。
そもそも、人生に「勝ち負け」なんてあることがおかしいんです。
勝ち組だとか負け組だとか…そういった概念のない社会づくりをしないといけないわけです。
ブロガーのInDeepさん的に言わせていただくのならば
「男性性社会」から「女性性社会」へ移行しないといけないのです。
念のため言っておきますが、「女性性社会」というのは、
フェミニストが台頭して女性の社長や政治家がたくさん誕生する…ということではありませんよ。
「男性性社会」「女性性社会」についてのInDeepさんの見解は
↓こちらなどをどうぞです。(ちなみにInDeepさんは男性です)

人類の大きな希望 : 女性「性」の文明
http://oka-jp.seesaa.net/article/191401196.html

なぜ男性は存在するのか? という生物学界の大きな
疑問がついに解決 : オスの存在には「種の絶滅を防ぐ
メカニズム」があることが英国の研究で判明する
http://oka-jp.seesaa.net/article/422529249.html

「縦割り・勝ち負け・競争・秩序…」といった男性型社会から、
そろそろ「水平性・平等・持続可能な自然サイクル…」といった
女性型社会へと変わらないといけない時に来ているんだと思います。

なんだか最後に話が壮大な方向に行ってしまいましたが、
突き詰めると、資本主義を筆頭とする男性型社会が限界にきているから、
世の中がとってもおかしくなってしまっているわけです。
「男性型社会が~」なんて言うとまるで男性の責任のように聞こえるかもしれませんが、
これは男性だけの問題ではなく、女性も共犯です。

最近は世の中がほんとにおかしいです。狂ってます。

そんなふうに、様々なことを改めて考えさせてくれる本でした。

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