2016年12月15日

女性性の欠如が世界の崩壊をもたらす…?『薔薇の名前』を読破したので簡単な感想を…。

薔薇の名前上.jpg薔薇の名前下.jpg
ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を読破しました。

『薔薇の名前』とは…

『薔薇の名前』(ばらのなまえ、イタリア語原題:Il Nome della Rosa)は、
ウンベルト・エーコが1980年に発表した小説。
1327年、教皇ヨハネス22世時代の北イタリアのカトリック修道院を舞台に起きる
怪事件の謎をフランシスコ会修道士バスカヴィルのウィリアムと
ベネディクト会の見習修道士メルクのアドソが解き明かしていく。
(Wikipediaより)

この有名な本は…私が今さらアレコレ偉そうに講釈たれるのも畏れ多い名作ですが、
せっかく読破したので、サクッと感想を述べてみたいと思います

著者はトマス・アクィナスの研究者であり、記号論学者ということもあり、
とにかく全体的にまどろっこしくて難しいです…。
この本を一言で言い表すならば、
「中世ヨーロッパの僧院を舞台にした推理ミステリーに
難解かつ重厚なキリスト教系哲学書的雰囲気をこれでもかと盛り込んだ作品」です。

哲学用語が随所にちりばめられているうえ、
中世キリスト教の基本知識がないと、なかなか物語に入って行けない作品です。

読み進めるうちに、なんとなくオチの「謎の書物」が何なのかはわかりました。
というか、察しの良い方ならわかるはずです。
正直「えっそんなことだったの…」みたいなオチですので、その点ではガッカリです。
小説家ってのは、わかってしまえば単純なことを、複雑かつ魅力的に、
もったいぶりまくって書くのが仕事ですからしょうがないのかもしれませんが…。

まぁ、推理小説としてのオチはともかく、この作品の要はそこではないんです。
この作品は、色々なことを我々に考えさせるように作られた哲学書です。

男たちのむなしい権力闘争・派閥争い…
神の解釈をめぐっての宗派の対立…
異教や異端を排除しようとする体質…
「キリストが財布を持っていたかどうか」の解釈をめぐって怒号が飛び…
異常なまでに本に固執して殺人事件にまで発展…
「“笑い”が善か悪か」の考え方の違いで言い争う…
女性と交わることを禁止した結果、男色に走る修道僧…

この作品では、上記のような…現代人の感覚からすると「異常」とも思える世界が
これでもかと描かれています。でも、キリスト教原理主義とかカトリック的世界では
現代においてもこういった世界観が根強く生きていたりすることもあります。
それを考えると恐ろしいですね。

宗教対立って本当に馬鹿みたいですよね。
異教徒の対立も、同じ宗教内での宗派間の対立も、本当に馬鹿みたいです。

だいたい、昔から疑問に思っているのですが、
宗教という存在は、カネや権力や階級闘争や暴力や戦争などから
最も離れていなければならないのに、現実はその逆ですよね。
仏教や新興宗教でもやたらとカネを要求する宗教がありますが、
宗教…つまり「なにかに対して祈る」という現象や行為は、
カネや権力とは何の関係もないものであるべきだし、もっと自由でなければならないと思います。

まぁ、もっと言ってしまえば宗教なんて無くていいんです。
自然に感謝して、母なる大地を讃え、太陽や月に祈る…という
原始的な「祈り」だけが存在していればいいんです。私は昔からそう思いますけどね。
(そういった原始宗教がやがて一神教とかに発展してしまうんだろうけど……)

私の勝手な解釈では、この作品では、
そういった…行き過ぎた男性主義的な宗教に対する批判が
さりげなく、そして力強く込められていると思いました。
この作品に唯一登場する女性は名のない「村の貧乏な娘」です。
この娘がこの作品全体に、とても鮮烈な印象を与えているんです。

下巻末に掲載されている解説で、訳者の河島英昭氏は…

山上の僧院が最も神へ近い祈りの場であるべきなのに、
そこが権力の座をめぐる醜い争いの場になっていることは、すでに明らかになった。
そこに欠けていたのは、皮肉にも<神>である。
それゆえ、この小宇宙に破滅の時が近づくのは当然かもしれない。
他方、死を賭けて奪権闘争を展開するのは、純粋に男たちの世界である。
ここに欠けていたのが<女>であり、性の概念であったことも、明らかだろう。
(下巻419p)

…と述べられています。

さらに科学哲学者の村上陽一郎氏の発言…「アドソにとってのキリストは、
あの女の子のかたちで現れていたんじゃないかなという感じがしたんです」
という解釈も引用されています。

まさに、ザックリ言うと、
女性性の欠如が世界の崩壊をもたらす」ということなんだな、ということです。

これは「ダ・ヴィンチ・コード」のダン・ブラウン氏の思想とよく似ている気がします。
キリスト教では(というか多くの父権的な一神教では)女性が不浄の存在として疎まれています。
そして女性を遠ざけて遠ざけて遠ざけまくった結果、世界の均衡が崩れ、
やがて世界は崩壊へと向かう………。
これは宗教世界だけでなく、現実世界にも当てはまることだと思います。

ちなみに「女性性=女性そのもの」というわけではありません。
いわゆる「女子力」とも違います(笑)
要するに…神聖なる母性というか…巫女さんとか…
どうにもうまく言えませんが、そういった感じのものです。
そして、
「女性性が充分に浸透している世界=女性大統領や女社長が台頭する世界」ではありません
むしろそれは母性原理を土台とする女性性とは真逆のものです。

…話を本に戻しますが。
この『薔薇の名前』というタイトルですが、

この小説の原題は、イタリア語で「Il Nome della Rosa」で、
英訳すると「The Name of the Rose」である。
薔薇(rosa)にも名前(nome)にも定冠詞が付いている。
小説は、その最後が、/stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus./
というラテン語の詩句で終わっている。これはモーレーのベルナールの説教詩の一行で、
小説の最後の部分では、ベルナールの詩の句が幾度も引用されている。
(Wikipediaより)

…ということで、色々な解釈の仕方があり、深いタイトルなわけですけども、
ダン・ブラウン風?に「薔薇=女性器=女性」と単純解釈すると、
女性について思いを馳せるタイトルである、とも解釈できる…ような気がします。
少なくとも私は勝手にそう思っています。

いや~久しぶりに重厚な本を読みました。
色々考えさせられました。

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